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2021.11.26 ボール スタンダードの黎明_アイデンティティ
1891年に起こった“キプトンの悲劇”以降、ボール自身もこの指示書に則るかたちで、関係路線の鉄道関係者から約2300個の時計を提出させ、検査/調整を行うとともに、調整終了までの期間に用いる代替品の提供までを一手に引き受けました。検査官としての姿勢は断固たるもので、事故から約半年後の11月1日には「いかなる雇用者も、時計が規定の基準を満たし、標準時計として要求される条件を整えるまで、職務の継続は許されない」と通達を出しています。またこの際にボールと管理当局は、鉄道時計として認可する時計の一覧を作成してその中から選ばせ、2週間ごとにワシントン標準時との誤差を確認するように指導しました。またその誤差が30秒を超えた場合は、改めて調整を受ける必要がありました。これは日差約2.1秒に相当する値であり、この時点では極めて高い精度が要求されたことが分かります。
1893年には、ボールの基準に沿うかたちで「鉄道標準時計」の規定が整備され、その仕様を列挙すると、①ムーブメントの直径が16ライン、または18ラインであること。②17石以上。③5姿勢調整。④誤差が1週間で30秒以内(日差に置き換えると約4.3秒)。⑤華氏35~95°Fで調整(摂氏換算で約1.7~35°C)。⑥ダブルローラーの使用。⑦スイスレバー脱進機の使用。⑧12時位置にリューズを配する。⑨シンプルなアラビックインデックスと重量のある針を使用すること、などが盛り込まれました。ボール自身も検査官として約180路線を担当するようになり、1908年には、約100万~200万個にのぼった鉄道時計を調整するために、20数名の時計師を雇い入れたとの記録が残っています。1900年代初頭には、37モデルが鉄道標準時計として認可され、1915年には19ラインのムーブメントも標準仕様に加えられました。
一方、こうした規定が整備されてゆくに従い、ボール自身の店で販売される時計にも少しずつ変化が見られるようになっていきます。初期にはバックケースが蝶番で開閉できる“ハンターバック”も多く見られましたが、ムーブメントへの埃の侵入を嫌って、スクリューバックが多くなっていきます。また、スイス製に比べて高度に規格化されていたアメリカ製エボーシュは、顧客や販売 店が自由にパーツを選んで組み上げることもできましたが、ボールの店では精度の低下を嫌って、コンプリートでの販売に固執していたようです。受けに「ボール・スタンダード」と刻まれたこれらのコンプリートウォッチは、当然のようにムーブメントメーカーへの要求仕様も極めて高く、ウオルサムやエルジン、イリノイといった主要ムーブメントメーカーの品質を向上させることに一役買ったと言われています。
誇らしげに刻まれた「Official RR Standard(公式鉄道標準時計)」が体現していたものは、「あらゆる過酷な環境の下で正確に時を告げる」ことでした。言い換えれば、鉄道標準時計のパイオニアとなったボールの時計は、少々乱暴に扱われることが前提となっていたのです。主力が懐中の鉄道標準時計から、さまざまなジャンルの腕時計へと多様化した現在にあっても、ボール ウォッチが今現在もなお一貫してタフネスを強調するのは、こうしたアイデンティティを受け継いでいるからなのです。
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